つづきです。
パートナーとはなんなのか。
それによって大きく変わってくる話なんだなと、今となっては思います。
僕は今の妻とこうして関係を築いてきて、かつてとはずいぶん違ったパートナー観を持つようになりました。
極端な例だとわかりやすいけど、別のAさんに恋愛感情を持ったとしたら、今の僕にとってそのAさんへの気持ちを最初に打ち明ける相手は、Aさんではなく、友人とかでもなく、間違いなく妻なのです。
Aさんとの関係に口を出させないどころか、自らパートナーとの間に持ち込む。
今の僕にとってパートナー(妻)は、お互いを鏡として、本来の神なる自分、創造者たる自分に共になっていく相手だから。
ということでもうちょっと詳しく書いていきます。
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今の僕にとってパートナーとは、お互いを鏡として、本来の神なる自分、創造者たる自分に共になっていく相手。
お互いがお互いの鏡になるためには、お互いが真実の自分を差し出し合うことが必要。
相手との間で自分がどんな気持ちになるのか、どんな体験をしているのか、そうしたことを明かし合う必要がある。それを相手に明かしていく必要があるし、相手に尋ねる必要がある。
たとえば、相手がほんとうに体験していることを知ったとき、自分が相手の内面を勝手に想像して、それに勝手に反応していたことに気づけます。こうして僕らは投影の夢から目覚めることができる。真実がその思い込みと、元になった傷を癒す。
これは誰との間でも生じうることなんだけれど、親密さの度合いが深まるほど、より微細な投影の影響が顕(あらわ)になる。
パートナーとの関係性に深く取り組む意義はそこにあると思うのです。
GFL学んだ人がよく、「これまでかなり自分の内面に取り組んできてたつもりでしたが、なんて荒い精度でしかやってきていなかったんだろうとショックを受けました」みたいなことを言います。そういうことなの。
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しかも、投影を起こす自分の認識や行動の歪み(ほとんどはアーリートラウマの影響を受けている)は、自分を全方向から鏡に移すことによってこそ詳細にわかってくる。
実際の物理的な鏡で真っ正面から自分の姿を見てるだけでは、わからないことってたくさんあるように。
そうするとですよ。
最初の話に戻るんだけれど、僕が別の誰かとの間で感じた気持ちの中に、パートナーへの気持ちが隠されていることがある。
極端な例だとわかりやすいけど、別のAさんに恋愛感情を持ったとしたら、それはパートナーとの間で恋愛面において満たされていない感情があることを意味している可能性がかなり高い。
なので、もしそういうことが起こったら、僕にとってそのAさんへの気持ちを最初に打ち明ける相手は、Aさんではなく、友人とかでもなく、間違いなく妻なの。
それが互いを鏡とし合うということ。
こうなるとですね、Beforeの世界観とはかなりガラッと違ってくる。
つづく
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