ドン・ミゲル・ルイスがパートナーシップについて書いた「愛の選択」っていう名著があって、20年くらい前に読んだ時に大層感動したんですよね。
その中で特に目を開かされた記述にこんな話があります(先日の有冬典子さんとの対談でもけっこう詳しく話したやつ)。
第五章「完璧な関係」という章の中に出てくる話で、相手をそのまま愛するか、愛さないか、その二択しかない、という文脈でね、犬と猫をたとえに出して書いているのです。
要約するとこんな感じ:
あなたがもし、ほんとうは猫が好きなのに、犬を飼っているとしよう。
犬が犬であることで、犬を責めることはできない。
そしてあなたは、自分が何を求めているのか、それを見極める責任を負っている。
もしあなたの犬が、「にゃー」と鳴かなかったとして、それでその犬をどうしようというのか。
猫と共に生きたかったら、猫を飼いなさい。
犬を猫に変えようとするのは無駄な努力です。
:みたいな話でね。
今でもこれは真実だと思う。
ただ、パートナーシップのことを深く研究してきた今は、僕らはこの犬・猫問題について容易に誤解してしまうということを、僕は身にしみて知っているのです。
犬を猫に変えることはできない。
そうなんだけれど、人間は、変容する。
パートナーとの間で、合わなさを感じていたとしたら、それは猫が欲しいのに犬を飼っているから「ではない」場合がほとんど。
たとえば猫と一緒に暮らすような自由で静かで確かなつながりが、今のパートナーとの間で得られていなかったら、実は相手が犬だからではない。
実際にはドン・ミゲル・ルイスの本の中にもそのことは「自分の中のゴミを片付ける責任がある」って形で書いてあるんだけれど、長らく意味がわかっていなかったよね、僕は。
仮に一度は惹かれあったパートナーが、今は合わない人としてそこに現れているとしたら、こちらの現実創造の力がどこかで歪んでいる結果。
自分の中のゴミ(主にアーリートラウマ)が、相手をそんな人として顕してしまっている。
もしそのゴミを片付けなかったら、この先も、猫と出会ったつもりなのに、いつのまにか犬と暮らしているみたいな人生が続く。
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それでですよ、この点をわかってカップルのサポートができるようなカップルセラピストは、そうそういない。この辺りを方法論にして伝えているセラピーの技法は、セラピーオタクの僕でもほぼ見たことない(もし知ってたら教えて欲しいけど)。
この「合わなさ」が浮上している時は、本来はすごいチャンス。
二人揃って成長し、二人揃ってより自分らしさを回復し、二人揃って愛情深さを引き出しあって、ふたりの絆を深めていく、そうするチャンス。
でもそれを、「猫がいいんだったら、犬とはわかれましょうね」としか言えないサポートを受けるのは、ほんと残念なことなのだと今ではわかるわけなのです。
僕らがいう、結婚2.0までのサポートしかできない。
でも時代は、結婚3.0の必要性を予感し始めている。
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で、最近、GFLに基づくカップルセラピーができるセラピストの養成について、少しずつ具体的な話が始まっています。
そういう人がもっと増えていったなら、間違いなくもっと幸せになるカップルが増えるし、それはこの地球社会にとてつもなくいい影響がある。
人間への信頼や、愛への信頼が、もっともっと回復している社会につながっていく。
結婚3.0を目指すような方法は、一言では言えないけれど、しっかり方法論として体系化されています。
そんな社会や、そんなカップル、そんなカップルセラピストを目指したい人は、ぜひ共に歩む仲間になりにきてください。
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