相手の話を聴ける、というのは、それ自体は間違いなくいいことだと僕は思っています。
多くの場合、相手はわかってもらえている、という安心感を抱くことができます。
それは友人関係でも接客業でも、営業でも、大いにメリットになります。
あまりにもどんな方面にもいいことがあるので、見落とされがちですが、実際には暗黒面(笑)も存在します。
相手の話を聴ける人が、パートナーシップがうまくいかなくなるのには、いくつか代表的なパターンがあります。
今日はその中の一つについてお話しします。
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相手の話を聴ける人、というのは、この文章の中では主に二つのことを指します。
・相手がより自分自身のことを発見できるような聞き方ができる ・そのことで「わかってもらえた」感を感じてもらう聴き方ができる
これらが天然でできる人もいますし、心理カウンセラーやコーチ、心理面の研修講師など、こころについて学びとトレーニングを積んできた人も含まれます。
ちなみにこうした職業の人の離婚率はとても高いです。
まあでもまず、こうした聴き方はほんと自分自身にとっても、相手や世の中にとってもとっても価値があると僕はこころから思っています。なのでそれはそれ。
ただ、GFLを実践しているときに、この能力というか特性というかが、邪魔をしちゃうパターンの人がいます。僕自身もかつて、思いっきりそういうタイプでした。
どういうことかというと。
相手の話を聴く、ということが、自分を明かすのを回避する手段になるということ。相手の話を探究的に聴こうとしていると、意識しようがしまいが、結果的に自分を明かす機会がなくなるリスクがあります。
もともと自分のことを話すのは苦手とか、自分のことを詮索されるのが嫌とかで、人の話を聴く仕事についている人もけっこういます。僕は自分のことを詮索されるのはすごーく嫌だった人(笑)。
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これは一対一のやり取りでもそうですが、数人程度のグループでのやり取りでも顔を出す傾向です。
自分のことを、なんていうんだろ、明かさないで済ませるために、誰かの話を深く聴いていくっていうことね。
下手したら結果的に、自分の話は全然していなくて、カウンセラー役みたいなポジションにいながら、場を占拠してしまっているということにもなる。
もっともこれはアドバイス好きな人も同じようなことになるけど。
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で、話を戻して。
もし対等な関係性の中で、お互いの絆を深めようと思ったら、こちらから自分のことを明かしていく必要があります。
特に愛し合うパートナーや、そうなりたいと思う片思いの相手に対しては、こちらが自分の真実の気持ちを明かしていく必要があります。
相手に好意があるなら、少しずつでもそれをこちらが表現していく必要があるし、相手との関係性で何か痛みがあるなら、少しずつでもそれをこちらから表現していく必要がある。
その真実の言葉をこころを開いて伝えたときに、相手のこころも開いてくるわけです。
逆にただ聴かれることは、相手からしたら決して安全ではありません。
極端な例で言うなら、「あなたは僕のことを本当は好きなのかどうなのか、もっと深掘りしてみようよ。実際どうなの?? え?僕があなたを好きかどうか?それは言わないけどね。」とか、「あたしに対して何か不満があるみたいだけれど、実際のところどうなのかあなたの心の中をよく見てみようよ。 それ聞いたあたしがどんな気持ちになるか、どう対処するかは言わないけどね。」みたいなメッセージになるわけです。
こうはっきり言葉で言われたら、全然安全じゃないでしょ。
やってることとしては、こういう意味にもとられることをやってる。
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そんなわけでですよ。
相手の話を聴くっていうことに特化したり、目の前の相手とか他の人の内面に焦点が当たるような会話の仕方をすると、自分を明かすことを避けることができてしまう。
この性質を自覚しないと、相手と深くつながるチャンスを逸してしまうことになります。 知らず知らずのうちに相手の安心感を損ねていくことにもなる。
何より自分がこころを開いて語っていないので、それ自体が関係性を冷え込ませることに直結していきます。
これが人の話を聴けるけれど、パートナーとの関係がうまくいかないときに起こることです。
人の話聴くのにはわりと自信がある皆さん、どう感じられましたか。
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