その人をありのままに肯定する。
ってよく聞くじゃないですか。
僕の生きる態度として、これはとても根本的に大事にしていることだし、GFLでもとても大事にしていることです。
でも、「あなたのままでいいよ」みたいな表現を世間では見ることがあるけれど、それだとけっこうズレちゃうことがあると思うんですよね。
僕にとって「その人をありのままに肯定する」というのは、あなたのままでいいよ、と声をかけるようなことではない。
そうじゃなくて、 ありのままに見るよう努めるということ。
できるだけ何も足さず、何も引かず、あるものだけをあると見よう。そう努めること。
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推測や憶測をできるだけしない。
できるだけ僕のフィルターに汚染させないように努める。
できるだけ僕のジャッジに気づいて手放すよう努める。
「そんなふうに感じるなんておかしい」
「そんなふうに思うなんてけしからん」
みたいなことを一切挟まずに。
そうして、よく聞きよく見て、
「ほうほう、あなたはそうなっているのかぁ。」
「あ〜、なるほど。そこでそういう気持ちになるんだね。」
「そんな背景があって、そういう捉え方になるんだね。」
と、あるがままに見るよう努めることだったりします。
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そうであるとき、「あなたがそうであることを私も知ったよ」っていうところに立てる。
「あなたはそのままでいいよ」というわけではなくてね。
いいも悪いもなく、単にそうなんだよね、と見られるところに立つ。
机の上に鉛筆が一本あるな。 みたいな感じで、ただ事実を認める。
ただ穏やかな事実の認定がある。
静かで軽やかな断定がある。
そこには力みや、対決や、対立、葛藤はない。
僕はこの意味での「ありのままに肯定する」ということに、とても安全と優しさを感じるんですよね。
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