Pさん(仮)は、子どもに対していらいらをぶつけてしまうことがあって、悩んでいました。
たとえば急に「今日はお弁当がいる」って発覚したりすると、「なんでもっと早くに言わなかったの!?っていうかプリントとかあったはずでしょ!」って怒りをぶつけてしまう時があると。
そして子どもに泣かれるとますますイライラが募ると。
いや〜、ありますよね。そりゃそうだ。無理もない。
そりゃあそこで怒らずにやれたら、それに越したことはないかもしれませんけど。
聞けばPさんは子どものためならなんでも、完璧にやってあげたいそうで。
もしあなたがこういう相談を受けたら、どんなふうに返しますか。
あるいはあなたの周りで、こういう相談を受け付けている人がいたら、その人はなんて返しそうでしょう。
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僕の周りでよく聞くのは、「お母さん、完璧を目指していたらそりゃあ辛くなっちゃいますよ。ほどほど目指して、できない自分を許してあげましょうよ。だって十分頑張っているじゃないですか。」みたいなもの。
実際、子育て中のお母さん(お父さん)は、多かれ少なかれ「きちんとする防衛」が働いて、正しく完璧にやろうと無理してしまうスイッチが入りやすい状況にあります。
僕自身、何人ものお母さんにこんなようなことを言ったことがある気がします。
けどこの人にとっては、これではうまくいかなかったのです。
こういう話になりそうになる程、Pさんは元気ない様子になっていきました。
どういうことだったと思いますか?
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いろいろ聴いているうちに、Pさん自身が小学生だった時の話をされまして。
子どもが泣くとさらにイライラしちゃうのは、わたし自身が泣くことを私の母親にダメだと言われてきたからだと思う、という話。
工作の授業でつくっていたものが、Pさんには完璧な完成形のイメージがあったものの、なかなか時間内には出来上がらず、居残りまでして作ったけれどできなかった。
それが悔しくて泣いたそうです。
そしてその泣いたことに対して、お母さんからとても否定的な関わりがあったと。それ以来、泣いちゃダメだと思って生きてきたと。
聴いているだけで痛々しいですが、僕はこれでハッとなりまして。
そういうことだったのか!と。
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というのは。
Pさんは本来の性質としては、自分の中にある理想の完成形に向けて精一杯努力したい人なのだってことだったのです
。
それをこそ追求しているし、していたいし、叶わなければ痛みがある。悔しくて泣きたくなるくらいに。そこで泣いていてこそ健全。
なのに、その痛みと願いに立つのを、母親からの影響で止められていた。
泣いちゃダメだし、なんならそんな完璧を求めるのが悪い、くらいに思い込んでしまった。
でもそれは傷ついた子どもが無理に納得しようとして持った思考。
本来は、もっと追求して、悔しい思いをして、それでももっと追求してこその人。
つまりPさんが我が子の前でイライラしてしまう時にほんとうに感じていることは、「私はできることならあなたのために、もっと完成度高いお弁当を作ってあげたい。他のことも、なんでももっと完成度高いものを差し出してあげたい。でも人間としての限界もあるし、そこまではできなくて、それが悔しいんだよ。」ということ。
「そういうときには、つい悔しすぎて癇癪を起こしてしまうこともあるけれど、そういう事情なんだ。あなた(子ども)が悪いわけじゃない。ごめんね。」って言えたらよさそうじゃないですか?って。
そう代弁して見せたら、「そうそう、そうなんです!!そしたら私、完璧を求めていいんですね!」ってキラキラと生命力が戻ってくるのが見えました。
そう、Pさん、あなたは完璧を目指してください。
そしてできなかったら悔し涙を流して、でもまた高い完成度を目指していい。
それがPさんが生き生きと子育てする道です。
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だいぶおもしろくないですか?
「完璧」という言葉に囚われちゃうと完全に読み誤ってしまうケースです。
とあるときの、「アーリートラウマに基づく子育て相談室」でのひとこま。細部は変更していますが本質の部分、分かっていただけるかと思います。
アーリートラウマに基づく子育て相談室、次回は12月21日(水)に予定されています。
https://www.reservestock.jp/page/consecutive_events/9898
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