僕らはパートナーと一緒に、不本意な現実を創造し続ける。
この辺の仕組みを、なんとか共有したいな〜って願いが僕にはあります。
なのでこれからちょくちょく書いていこうと思います。
僕は、人生の中でのいろんな新しい体験を桂子ちゃんと一緒にしたい。
そういう希望というかニーズというかを持ってます。
でも基本、その「人生の中でのいろんな新しい体験を桂子ちゃんと一緒にしたい」っていう希望はかなわない。
そういう機会に誘っても彼女はまずはいやがる。初めの一言はほとんど嫌がるひとこと。「え〜、絶対無理〜」「う〜ん、全然気が進まない」とかね。
それで、「まあそんなに嫌なら無理にってわけにもいかないよな・・・。」と僕は自分の希望を引っ込める。
そんなわけで、「人生の中でのいろんな新しい体験を桂子ちゃんと一緒にしたい」っていう希望はかなわない。
この人が変わるか、この人じゃない人に代えるかしない限り、僕の欲しいものは得られないんじゃないか、という絶望的な気持ちになったりします。
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さて、アーリートラウマとパートナーシップについての理解があると、これが僕の創造なのだっていうことがわかってきます。
僕は、彼女のこうした「嫌がる一言」を聞いちゃうと、自分の希望をいい続けることはできなくなってしまう。その胆力が、へにゃへにゃなの。
よくよく見ていくと、嫌がる一言に傷が反応して、それ以上自分の希望をいえなくなってることに気づきます。これはアーリートラウマの一種の、典型的な反応パターンなのは学んでたらわかること。
この「嫌がる」に出会う痛みを回避しようとして、自分の望みを諦めてる。そういう回避行動がある。
ここに傷がない人ならば、気にせずそのまま「まあそういわずに、やってみようよ!」とか軽やかに言い続けることができて、その希望を叶えて行く。
はたから見たらこのカラクリは明らかなのだけれど、本人としては、「いや、あんな風に嫌がられたら、とてもそれ以上言えるわけがない」っていうのがリアル。とても無理ですって。
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一方で桂子さんの方に何が起こっているかというと、「え〜、絶対無理〜」とか仮にいっていたとしても、実際には絶対に無理なわけではないのでした。
そもそも彼女の持っている傷が、「生きることは基本、危険なので、できる限りリスクはとっては行けない」と彼女に常時言い続けているため、新しいことをするとなると、反射的に危険!回避せよ!って信号が流れる。
これがもし仮に、なんでも「いいね、やってみよう!」と即答できる桂子さんだったら、僕の傷はあぶり出されないわけ。
でも幸か不幸か、彼女は「いいね、やってみよう!」とは即答しないで、むしろできるだけ避けようとする傾向を持ってくれている。やだけど(笑)。
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こうして僕らの傷は噛み合って作用するのでした。
ちなみに桂子さんは、僕が引っ込めちゃうので新しい体験を避け続けて、世界は危険なままになる。「やってみたらそんなに危険じゃないじゃないか」っていう世界の創造に取り掛かるチャンスを失ってる。
パートナーとの関係が深まったら、間違いなく自分の持つ傷、つまりは今となっては不要な思い込みや行動パターン、が浮き彫りになります。それもお互いの傷がうまく噛み合って、共同で創造する。
ここがわかって来ると、いろんなカップルの問題を見ていて何がどうなっているのか、とてもくっきりわかるようになってきます。
自分たちのことも、「自分の何が、パートナーとのこの現実を作り出しているのか」という視点で見られるようになってきたり、見ようとするようになって来るのですが、これは関係を深めながらパートナーと一緒にいる上で、とてつもなく価値があると僕は感じてるのでした。
そう思いません?
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