今、我が家には産後のサポートでスタッフのひろみちゃんが来てくれています。そして僕の母もいる。
それでけっこう僕ら親子のプロセスが進んでいます。険しい道ながら。
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母と僕は長い間、なんというか特段大きな問題のない親子のようでした。見るからにひどいことはなにもなかった。不当に怒るとか、暴力を振るうとか、夫婦喧嘩が絶えないとか、そういうわかりやすい問題は僕の生まれ育った家にはなかったし、親がこうだったことで傷ついた、みたいな記憶は僕にはありません。だから親子関係のトラウマは僕にはないと思って生きてきたし、実家にはさしたる問題はなかったと思っていました。
それでもこんなに生きるのが大変なのはなんでなのかは、それはそれで、ごく最近になってアーリートラウマの理解が進むまで長年の謎だったんだけど。
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話を戻して、僕は家庭には問題ないと思って生きてきたけれど、物心ついた時にはすでに「誰も僕のことを分かってはくれない」という絶望を抱えていました。今から思えばね。
それは母に対しても特にそうで、僕のことを決してわかってはくれないし、なんならわかろうとすらしてくれないようだと感じていました。
そして「僕のことを分かってほしい」とぼんやり思っていました。
12/30の夕食の後だったか、桂子さん、ひろみちゃん、母、そして僕で話していた時に、僕が母に対して反応的になっているのをひろみちゃんが見逃さず、「二子さんのお母さまへの問い詰め方はけっこう怖いですよ。二子さんはお母さんに、自分のこと(母自身のこと)をもっと見つめてほしい、と思っているってことですか?」と聞かれました。
これがなかなか鋭い問いだった。母に、自分自身のことを見つめてほしいと思っているかというと、ピンとこない。
僕は改めて、「じゃあ僕は母になにを求めているんだろう。母との関係でなにに本当は心痛めているんだろう。」と自問しました。
ひろみちゃんさすがGFL歴一番長いだけあって、鋭く愛あるツッコミだった。
それでわかったのは・・・。
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僕はぼんやりと「僕のことをわかってほしい」と思ってきたけれど、違った。それもあるけれど、もっと大きな願いであり痛みなのは。
「僕が」、母のことを、もっと理解したかった。
母の本当の気持ちや痛みや願いを知りたい。母はどういうわけか、そうした真実の思いを表現することを死ぬほど恥ずかしがるし、だから決して明かさない。明かさないというか、本人もわかっていないことがほとんど。
でも僕と母は感性が全然違うので、本当のところを明かしてくれない限り、ぜんっぜんわからない。母は「そんなこと言わなくてもわかるでしょ」とよくいうけれど、ほんとに僕にはわからないの。
なにに喜びを見出して、なにに胸を痛めて、どんな願いを持って生きているのか。今でも全然わからない。
僕の助けにならないことを平気で言ったりやったりするとき、ほんとうはどう思っているのか、わからない。
これまでずっと、大切な存在である母のことを全然知ることができていない、それが痛かったのでした。
その痛みを避けるために僕は、感情的な反応を起こしてきたのでした。
僕は、母のことをもっと知りたかったし、知れていないことが痛い。
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それで翌日、大晦日の晩にまたみんなで話している時に、僕はこの話を持ち出しました。僕は、母のことをもっと知りたかったし、知れていないことが痛い。
僕は母から、なにも聞いてこなかった。たとえば家庭を持って、子どもを育てて、それが幸せだったのか、そうでもなかったのか、僕は聞いたことがない。子どもを生み育ててどれほど良かったかなんて話は一切聞いたことがなかったから、子どもを持つことが幸せだということは、僕にはインストールされなかった。
僕にとっては、それよりも僕が生きてきた約半世紀、この青く美しい惑星の破壊がずっと進行してきて、そのことにこそ胸を痛めてきた。この美しさを守ることに命を使わずにいたら、家庭を持って家族で仲良く暮らしたところで僕の人生は虚しいものでしかないことがわかっていました。
僕のナチュラルな感性はそういう方面に向いている。家庭の良さは、僕は誰かから聞いたりして開発されないと感じられない種類のものだったと思います。
少なくとも実家のような家庭を持つことに、僕は全く魅力を感じていなかったし、それよりはこの星の美しさを守るために、ここぞというところで命かけられる生き方していた方がうんとよかった。
でも母は僕が見ている地球の美しさと、それを守りたい熱意は全く持ち合わせていないし、どうやらたぶん、いい家族を作ることを熱心にしていたようで、たぶん、それが彼女の生きる道だったみたい。でも大晦日の日にも、それをど真ん中から語ることはなく、僕は引き続きとても痛かった。
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母は、「あんたのいうことは難しくてわからない。いい家族を作ったと思ってきたけれど、あなたがそう思っていなかったなんて、全人生を否定された感じだ。」と泣きました。
桂子ちゃんとひろみちゃんは、両方の感覚をそれなりにわかるようで、僕ら親子のものすごいすれ違いぶりにこころ痛めてくれていました。
そんなこんなで、長年の痛みが浮上する大晦日でした。
この先僕は、たとえば母が亡くなって、その葬儀で喪主を務めるときまでに、母の真実を多少なりとも知ることはできるのだろうか。
でもまあ、わかってほしい、ではなく、僕がわかりたかったのだ、と知れたことは革命的な転換点にはなりました。
あーちゃんはこの大事な対話の間はずっと静かに寝ていました。
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