パートナーを一人にしぼるのは古いとか合理的でないとかいう声は、たぶん昔からあります。
古いかどうかはともかく、合理的じゃないという声は一理あるんじゃないかと思います。
その中でもよく聞く声の一つが、「一人のパートナーですべてを満たそうとするなんて無理がある」というもの。
皆さんどう思われますか。
なんというか、考えるまでもなくこのこと自体は正しいと思うんですよね。
GFLではパートナーは対人関係における自分のニーズの、「全て」を叶えてくれる人ではないと捉えています。GFLは徹底的に現実的なのです。
そして僕らは誰でも、満たされたいように満たされていいし、パートナーを一人に絞ることによってそれがほんとうに叶わなくなるのなら、そこは慎重に考えたほうがいいとも思う。
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例えば我が家では、四魂で智の強い僕は、磨き上げられた技に宿る愛、みたいなものに震えるのです。芸術的に磨き上げられた音楽とか、いい仕事している江戸前寿司とかね。
で、たとえばおいしい寿司屋さんで、シメサバの絶妙なシメ具合とかに出会うと、「うおおおお!」ってなるんだけれど、そういうところで共鳴したいわけ。「これはすごいね!絶妙だね!!」って語り合って食べたい(笑)。
音楽とかもそう。今聴いているキリル・ペトレンコ&ベルリンフィルの悲愴の、オーソドックスなのにこんなに音楽が新鮮に生きていることの凄さとか語りたいわけですよ。ときどきFacebookでも音楽シェアしてるように。
すごく丁寧に磨き上げられたもので、一緒に震えたい。けど、それは妻との間では起こらない。多分この先も、そうそう起こらないだろうとわかる。
これはかなり寂しいことなのです。僕にとっては。
(彼女からしたら別の分野で、やはり僕と共有できないこともありますよ。)
なので、そういうところで一緒に震えられる人と美味しいもの食べに行きたいというニーズがあります。
北海道だとね、ニセコに超絶おいしい別格のピザ屋があるんですよ。違いのわかる人だけ集めて泊まりがけで行きた〜い!
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話を戻すと、一例として、一緒に震えられる人と美味しいもの食べて一緒に震えたいっていうニーズは、パートナーとの間では叶わない、というようなことがあるわけです。どこのカップルでもたぶん。自分を知って、自分を生きるようになる程、そういうことが現れる。
そのときにどうするかによって、パートナーとの溝が広がることもあるし、パートナーとの関係がより深まることにもできる。
その鍵は、このこと自体を相手とどのくらい真実から話せているかということ。
例えば僕の先程の例なら、僕にとって磨き上げられたものに触れて震えるということがどれほど大事か、それを分かち合って共振することがどれほど大事か、妻はよく知っています。
そしてそれが妻との間ではなかなか得られないことに僕が常々痛みを感じていることを、彼女は知っているし、彼女もそのことに胸を痛めている。
そしてお互いこの件で相手を責めないように気を付けてもいるのです。瞬間的には責めちゃう時もあるんですけどね。僕は彼女を責めたくなるし、それで彼女も自分を責めちゃう時がある。
でもそれは違うという共通認識を持ってる。
だからこれは、どっちが悪いとかそういうことではなく、胸の痛む現実。
それを「二人で」共有している。
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この共有をすっ飛ばすと、二人の間の溝がただ深まっていくことになります。
例えば僕がこの件で痛みを感じていて、「これは妻に言っても何もならないし、いうだけ無駄だ」と判断して、一切言わなくなり、言わないまま他の誰かとの間で満たそうとする。自己完結していく。
そうすると、僕の重要な部分を妻が知らないままになるし、僕は妻とは無関係なところで重要なニーズを満たすことになる。
これは、今僕らがやっているような、パートナーとの関係をかけがえのないものにしていく、という作業のなかで、大事なパーツが抜け落ちてしまうことになるのです。
たぶんそのまま進むと僕にとっては複数パートナーへの道が開いていく。もともとそれでもいいと思ってた人種だしね。
でも今は、それは選ばない。
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二人の関係の中で満たされない部分がある痛みをパートナーと共有し、それを別の友人との間で満たせたら、その喜びもパートナーと共有する。
そちらの道を選んでいるんです。
そうすることで相変わらず僕にとっては妻が、特別にかけがえのない存在であり続けることになります。
これを続けていく限り、僕らはお互いにとって特別な人であり続けるし、そこには何者にも変えがたい豊かさが生じるのです。
今回は触れなかったけれど、こうやって進める中でも嫉妬やトラウマが浮上するだろうし、そのことについても二人で語り合ってみることでいろんな発見ができるはずです。
以上、パートナーとの間では満たされないニーズがある時どうする?っていう話でした。
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