防衛パターンで、ちょっとトリッキーなやつが時々あります。
今日はそのひとつ、「ポジティブに捉える」っていうパターンについて。 GFLで「自分を大きく見せる防衛」と呼んでいるパターンの、現れ方の一つです。
物事をポジティブに捉える、良かったところに意識を向ける、というのは、一般的にはこころの健康には役立ちます。
だから「ポジティブに捉えることの全部が良くないこと」だとは思わないでください。
というか、だからこそこの例外的なパターンはトリッキーなわけです。
しかもここに取り組める人は、とても勇敢な人です。このパターンを持っている人は、この点で内面に向き合うこと自体が怖すぎることも多いやつ。
ここまで読んでなんかざわざわしてきた人は、ぜひこの先を勇気を持って読んでみて下さい。 大きなギフトが待っています。
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まず、どういう時にこのパターン(Aさんが持っているとします)が見えてくるかというと。
典型的には痛みを感じているBさんに対して、Aさんが、「もっと◯◯なふうにポジティブに捉えたら?」「それってXXって見たらポジティブな意味になるよね」みたいにいう場面。
このときBさんが、「わぁ、たしかにそうだ!」ってこころから思うか、逆に「ん〜、そうかもしれないけど、なんか違う」って感じで分かってもらえていない感を抱くか。
これがパーフェクトな見分け方でもないんだけれど(Bさんの防衛も関わるからね)、でも一つのサインになります。僕がAさんだとしたら、Bさんがそこでパァッ!と表情がはれるんじゃなくて、なんか困った顔や険しい顔になっていったら、あるいはもっとはっきり物申されたら、立ち止まるチャンスなわけ。
「あれ?なんか変なことが起こってるぞ。これは僕の何が引き起こしているのだ?」って。 「なんか変なことが起こっているぞ。Bさんは実際には何を感じているんだろう?」って。 (←これらがGFL的なものの見方。自分を責めるんじゃないですよ。)
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で、Bさんに尋ねてみてBさんが、「なんか分かってもらえていない感じでフラストレーションが溜まる」「なんかだか聞くほど苦しくなってくる」みたいに言ったとしたら。
そのとき僕(Aさん)は、Bさんのほんとうの痛みに寄り添っていない。
むしろほんとうの痛みを回避するように誘導しようとしちゃっている。
つまりBさんがBさんだからこその胸の痛めかたをしようとしているときに、それを邪魔してることになるわけです。
GFLでは痛みと嘆きをしっかり聞き取ることを大事にしていて、それができて初めて、その人(この場合のBさん)の本来の願いと繋がることができる。
そうなったらその時、その人の生命力とつながることができる、ってとらえています。
痛みや嘆きが十分聞き取られる前にポジティブに意味づけしてしまうと、その人本来の願いや生命エネルギーと繋がれなくなってしまう。
この状態だとエネルギーをなんとかかき集めながらいい状態を保たなきゃならず、けっこうたいへん。
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はなしをもどして、こんな風に誰かとの間で問題になることで浮上しやすいパターンです。
が、このパターンを持っている人はおそらく、自分に対してもちょくちょく同じことやっている。
つまり自分自身の本来の痛みも、聞き届けようとする前にポジティブな意味づけで痛まないようにしてる。そうやって痛みを回避している。
こうすることで一見、物事はうまくいっているように思えたり、うまくいっているように見せることができたりします。
自分は幸せだということにしたり、成功していることにしたり、愛されていることにしたり。
でも実際には思っているほどそうじゃない。そしてそのことに本当はこころ痛めている。
これを認めるのが鍵。認めるというか、そう感じている自分を見つけてあげるというか。
普段から自身のことも含めて、「この人の本当の痛みや嘆きはなんなんだろう。」っていうところに聞き耳を立てていけるといいです。
そしてこの、こころ痛めているところにアクセスできるようになったら、間違いなくもっとほんとうに自分らしく生きられるようになる。自分らしく幸せになれたり、成功できたり、愛されることになる。
そうなるだけの生命エネルギーというか活力というかも溢れてきます。
ポジティブもネガティブも、全てあることにした上で、本来の自分として生きられることができるようになる。
それこそが真のポジティブと言えるかもしれません。
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