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二子渉

三角屋根の家のヴィジョン その1〜「家庭」の感覚が全くなかった僕

更新日:2023年1月21日

桂子さんと付き合い始めた頃、僕は自分のポリアモリー(多数愛)的な傾向について、見極められていなかったというか、よくわかっていなかったというか。


いや、もはや問題はないけれど、今でもわかっていない。


当時の僕は、愛は僕の中にいくらでもあるし、それを配る相手が2人だろうがもっとだろうが、一人当たりの分が減るわけもなく、むしろハート開くから増えるんじゃないかな、と思っていました。


それを桂子さんはすご〜く嫌がっていて、ものすごい時間話をしていたんですよね。


それと関連してしばしば指摘されていたのが、僕には「家庭」「Home」の感覚がない、ということ。


暖かくて安心できて、すべての土台になるはずの家庭やホームの感覚がないように思えるけれど、どうなっているのか、と。


これはなかなか大きなトピック。

その数ヶ月後に、僕は、娘としてやってくる魂と再会の約束をしている、その人となんとしても会わなくてはいけない、という感覚が生じます。


平たく言うと、娘が欲しい、ということ。


娘と、その母親である妻という大切すぎる存在ができてしまうことが心底恐ろしくて、ずっと避けていたのだとわかった。


とはいえその感覚を取り戻してなお、僕の中には暖かくて安心で、すべての土台となる家庭やホームの感覚というのは、うーん、よくわからなかったのです。


彼女は、人並みに親と仲悪いところもあるけれど、それでも実家はほっとするし、家族は家庭は素晴らしいものだと当然のように感じている。


今となっては、暮らし系の両親の元に、使命系の僕がしっくりくるホームはなかったということも関係しているのがわかるけれど、当時はもうちょっと根本的に僕が何か欠けているのかなという感覚も強かった。いや、桂子さんと話すほど強くなった。


そうやって何ヶ月か過ごしたあるとき、桂子さんとやはりこの話をしていて、見えたんですよ。

映像が。


***


その映像の中では、


奥に夕暮れの空と森がみえる。

その手前に三角屋根の家がある。

その夕方の優しい光の中に、赤ちゃんを抱いている桂子さんと、僕、という3人がいる。


そういう一枚の絵のような。

それがたまらなく懐かしく温かい感覚を呼び起こして、すごく泣けてきたのでした。


これがたぶん、僕が自分の中にあるホームの感覚に初めて触れた機会。


つづく





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