その1の続きです。
さて、それから何年もの月日が流れました。
そして2018年、まだ結婚しておらず、いつ結婚できるのかもわからず、ましてやいつ娘を迎えられるのか、迎えられる日が来るのかわからなかった時期に、僕らはご縁あって現実創造の法則を大資産家の先生から学ぶ機会を得ました。
アナスタシアの4巻以降でも形象学として紹介されている、意識で現実を創造していく方法。
アナスタシアは、「信じて。誰もが今日にでも家を建てることができる。」って言います。
それで僕ら夫婦(っていうかのちに夫婦となる二人)はせっせとそれを実践していったわけです。
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しかし一緒に暮らすならどういう家がいいのか、という一点をとっても、僕らは全く違った要望を持っていました。しかも一見すると、相手の要望を受け入れたらこっちの要望は叶わなくなりそうな相入れなさを持っています。
たとえば僕は都市には住みたくなくて、森のそばに、あるいは森の中に住んでいたいと思っていたけれど、彼女は「田舎暮らしは絶対にしない」と言い切っていました。
それでもともかく札幌市内のマンションを見にいったり、貸しに出てる住宅地の一軒家を見にいったり、住宅展示場であれこれ見てみたり、とにかくやれるところからやれることをやっていった。
そうして動いて、対話していく中で、お互いのことを深く知るようになっていきました。
相手のことだけじゃなくて、自分のことを深く知るようになっていった。
パートナーという鏡を通して、自分が何を大切に思っているのかとか、そういうことがくっきり見えてくる。
この辺には共同で創造するときのノウハウがいろいろあるんだけれど、それを駆使して進んでいったわけ。
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そしたら2、3ヶ月くらいで見つかったんですよね。
あんなに相入れなかった僕らの要望が叶う土地が見つかった。
僕にとっては、四季の移り変わりが、色で、匂いで、音で感じられるところで、夕焼けが綺麗に見えるところ、彼女にとっては、美しい街並みの中、都会にも比較的出やすいところ、そんなふうに二人とも叶えたいことがちゃんと叶う場所。
いきなり家を建てるとか僕には想定外だったりして、「これ以上はない!」とまではいかないけれど、ひとまず有限の時間内では「わぁ、いいじゃん!」って喜び合える場所が見つかり、家を建てられたのです。
家の中は僕はそんなにこだわりないので、家の設計はわりと彼女主導で進んでいきまして。
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このプロセスの最中、森を背負う三角屋根の家を建てよう、みたいに意識したことはありませんでした。
ついていくのにやっとな急展開だったし、全く忘れていました。
それから約3年経ってあーちゃんが生まれて、さらに何ヶ月か経った時に、「ん?これはあのときのヴィジョンの通りではないか!」って思って、あーちゃんが赤ちゃんのうちに写真を撮らなきゃと思ったってわけ。
それがこの写真。
これが共同の創造というもの。
かなりおもしろくないですか?
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