先日、僕は「願う」「望む」「欲しがる」といった創造の第一歩を、どんだけサボってきたのか、ってことを書いたんですが、これ、うっかりサボってたのかと思いきや違った。
明らかに乳児期のトラウマの影響でした。教科書的な例だ。しまった。
0歳の頃に、自分は求めても与えられない、というのを大きな痛みとともに神経細胞レベルで強烈に学習してしまった人は、「自分は最小限で間に合わせることにおいては自信があります」「与えられた分だけで十分幸せに生きていけます」みたいになっていくパターンがあります。
「ですので、みなさんのご都合(ニーズ、願い)を優先していただいて結構です。」って。
そうして自分からは、何も欲さなくなっていく。あまりに得られない痛みが強かったため、欲しがることこそが危険だと思っちゃって、自分は何が欲しいのかに気づかないようなシステムが作られていく。
つまり、創造の第一歩を発動する力がおおきく損なわれてる。
なんてこった。なんてお気の毒な僕の赤ちゃん時代(笑)。
そんなわけで、すご〜く安心させてあげないことには、僕の中の「欲しがる」部分は心を開かないので、
ここ癒しつつ、なんども「何が欲しいの?それは絶対得ようね。」って自分に話しかけてるところ。
ちゃんと聞いたら少しずつでてくる。
しょうもないもの欲しがってても、それもちゃんと聞き届けていくところから。いや〜、手がかかるワタクシ。
これ読んで感じるものがあったそこのあなた。
あなたも願っていいし、欲しがっていい。そしてあなたはそれを与えられるべき、大切な存在なのです。
留言