僕が情熱を持っている分野の一つに、「使命系と暮らし系」の話があります。
パートナーシップの話の中で、ってことなんだけれど。
「使命系」の人は、人生を通して何を為せるのかが大事。自分の命を使って、何をこの世界にもたらせるのか。家族と笑い合ってる日々がずっと続く、とかだけだったら死んでも死にきれない。
「暮らし系」の人は、壮大なこと言ってるよりも、目の前の家族のこと、日々の暮らしのこと、それが豊かであることが大事でしょ、って感じてる。多趣味でいろんなことを楽しんでいる人もこっちであることが多い。
どっちかにパキッと二分されるような分類じゃなくてスペクトラムになってると思うけれど、この「使命系」と「暮らし系」の組み合わせのパートナー同士の断絶感というか、理解しあえなさというかはとても大きいんですよね。
そしてGFLでいうところの「結婚2.0」までは、使命系の人がやりきれなくなって飛び出す、みたいなことも実に多い。そういう話をたくさん聞いてきました。
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僕はがっつり使命系で、育った家庭はかなり暮らし系寄りでした。
僕はそんなわけで家族とか家庭とかをすごくいいものだと思ったことはなくて、むしろ結婚は人生の墓場だって思ってた人なんだけれど、今になって思えば、親に使命系の人としての背中を見せて欲しかったんだなあって思います。
いのちかけて邁進している姿を見ることができたなら、僕が自分の使命を生きることを支えられただろうにと。
そして僕の命を燃やす道を、「お前の考えていること、やっていることは、とても意味のあることだ。きつくてもやり遂げろ。おまえにはできると信じている。」みたいに言われて、こころから応援されている、という感覚を感じていたかった。
なかったから分からなかったけどね、子どもの頃は。
あくまで今になって思えば。
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それで桂子さんは、がっつり暮らし系の人なわけ。
たとえば部屋の中が、見た目としても整っていることとかが「本質的に」大事らしい。家に置かれている食器が、それを眺めて使うだけでも喜びがあるものであるのが、本質的に大事らしい。
そういうのは僕にとっては人生のおまけで贅沢品の部分で、そりゃそうであった方がいいとは思うけれど、真っ先にリソース割いて実現したいようなことではない。
まあとにかく。
ものすごく感覚が違う。
そして僕は、家族というシステムを重荷に感じて離脱したくなっちゃう「使命系」の人たちが、どうしたら理想的な家族の中にいられるのか、ということにすごく興味がある。
ほんとうなら、最も身近に生きる家族がお互いに、たましいの願いを理解しようと努め、その道を行けるようにと支えるのは、むしろ健全なことでしかない。
特に親たちが子どもたちに対してそうであることは、むしろ、ほんとなら当然望んでいいことだった。真っ先に望んでいいことだ。
もしそういう家族の形を我が家が作って見せることができたら、それはとても大きな希望になるんじゃないかと思ってる。
この道を進んで行ったら作れるのはわかっているけど、まだまだ課題山積みで大変なんですけど。
ほんとうは使命系の人たちにとって、そうした家庭が得られるならば、より使命に邁進できるし、世界に良きものがもたらされるのも明らか。
だから道を作ってみせますよ。
と思っているわけです。
そういう方面からGFLの道を共に歩んでくれる人がもっと増えてくれたらいいなあ。
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