桂子さんの体調がずっと悪くて、ほぼ寝たきりで、戦力にならない以前にむしろ要介護・要支援ってレベルが続いてて、僕もいつになったら仕事再開できるのかわからないし、妻と娘と楽しくお出かけとかもひとつもできないし、この生活がだいぶ嫌になって来たんですよね。
で、4日前に、天に祈ったのです。
この状況から抜け出すために、お力をお貸しください。その道をお示しください。
ってね。けっこう真面目に祈った。
そしたら3日前に急に、
「これは、僕の意識による現実創造だ。僕の創造のパターンを見つけて解除しなきゃかわらないぞ。妻がどうとかいう問題じゃない。あちゃ〜〜、しまった、これ僕の側のはなしだ。」
って閃いたのでした。
すぐに桂子さんにもその話をして「考えてみれば確かにそりゃそうだ」「このままじゃ私が元気になっても、わたるちゃんに引き戻されるじゃないか」ってことになって、僕の意識(というか無意識というか)はどうやってこの現実を創造しているのか、探究が本格的に始まったのでした。
考えてみたら僕と同居してた過去のパートナーたちも、みんな「社会とつながりながら生き生きと生きる」みたいなところから、必ずはずれていった。
なんだよ、完全に僕の創造じゃないか。
く、くやしい。なんてこった。
でもこれで尻尾はつかまえた。 (ので、桂子さんが今日くらいから一段階元気に過ごしている。半年ぶりに自分で車運転して出かけて行った。)
あとは、
桂子さんが元気に生き生きと生きはじめちゃったら、僕の中の傷ついた子どもにとってどう不都合なのか、とか、
彼女が弱っている現実を創造することによって、僕の中の傷ついた子どもが回避できている痛み、言いかえると、本来は感じるはずの痛みはどんなことなのか、とか、
を見つけることが鍵になる。
その痛みを見つけて、経過させ、回避行動を終わらせることが。
それで、GFLのオンラインサロンで今朝その話をして、認定講師たちも鋭いし、受講生、修了生もいいところ突っ込んでくれてみんなでめっちゃ盛り上がった。
いやだけどすげーおもしろかった〜(笑)。
まだ核心を捉えられてはいないけれど、いいぞこれ。
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