僕の周りには神社仏閣でお願い事や神頼みをする人はもちろんたくさんいるのですが、感謝を伝えてくるという方もけっこういます。
このテーマ、10年以上いろいろ考えてきて、なかなか深いテーマなんだなと改めて感じてるところ。
僕自身は、10年以上前から神社仏閣に行った時には、感謝を伝えたり、その地域の安全や豊かさをお祈りするみたいなことをしていました。
お願い事をして、そこに意識のフォーカスを当てるのって、貪欲さとか自分の中のエゴエゴした部分を強化することにならないだろうか、というような指摘を読んで、30代だったその当時は、「なるほど、そうかもね。」と思ったんですよね。
それよりは自分の中にある感謝とかにフォーカスを当てる時間にした方が、自分が整うんじゃないか、という説に、一票入れてみることにしたの。
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さてそれから年月がすぎて、僕の現実創造の先生である資産家先生と出会ってから、またいろいろ見え方が変わったのでした。
意識が現実を創造する、その仕組みを学んでいく中で、なんどもなんども強調されていたのが「人間は自分の力でなんか、ほとんどなにもできない」ということ。
本当に望む現実が手に入る時って、様々な巡り合わせが働いて、「成る」。
それは僕個人の力を遥かに超えた働きによるもの。
なので、自分の力だけでなんとかしようとするたびに、「ふたこさん、あなた何様のつもりですか」とお叱りを受けたの。「神様仏様よりも、自分の方が力があるとでも思ってんのか。宇宙を司っている者よりも力があるとでも思っているのか。」ってね。
以来、僕の中では大いなるものに頼るという意識が生まれた。生まれたのか回復したのか。
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それとやはり資産家先生のところで学んで衝撃を受けたことの一つが、「この地球を破壊しているのは、正確には人の欲ではない。人が発する低振動のエネルギーだ。」という教え。
地球の危機は実際深刻だとも教えられてきた。けれど、
「地球はあなたを愛しているし、あなたに十分な豊かさをもたらせる力を持っている。だから欲することを止める必要はない。」
僕の理解では、もしあなたが澄んだエネルギーで何かを欲していたら、それは地球を破壊しない。
たっぷり欲したとしても破壊しない。
でも、低振動なエネルギーで欲したら破壊するし、低振動なエネルギーで節制したならそれも同じく地球に対して破壊的なのだ。
みたいな感じ。
いや〜、確かにそうだ、と思っちゃったんですよね。
僕はこの低振動というのを直接理解はしていないけれど、僕なりにはアーリートラウマによる防衛反応のことと理解していて、そう理解するとすごく色々と辻褄が合う。
それ以来僕は、自分が純粋に欲することができるように、自分を整えようと努めてるの。
僕のアーリートラウマのパターンからすると、かなり難易度高いんだけど。
でも意識していったら、願いの純度というものは掴めてくる。
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それでぐるっと話が戻るんだけれど、神社仏閣に行った時に近年は改めて、できるだけ純粋にお願い事をするようにしています。
人の役割は、純度高い意図で願いを抱くことだ。
ってくらいに最近は思っていまして。
その意図が発せられたなら、大いなる働きが、その実現のために働いたとしても、いいことしかないはず。
そう思いませんか?
GFLではこうした、意図の純粋性を磨くことや、大いなるものに助けられて現実を創造していく技を身につけていきます。
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