性善説、性悪説ってあるじゃないですか。
これって、どっちかを心底信じているものだったりしますよね。
自分の核にあるものは、善良なものなのか、そうではないのか。
もし、確信を持って善良なものだと思えていなかったとしたら、それは常にずっと、自分自身に対して、否定のエネルギーを向けることになります。
もしほんの少しであっても、自分は本来存在してはいけないものだ、という否定を「ずっと」続けていたとしたら、そのダメージは計り知れないものになります。
特にその強固な思い込みは、自分の意識が作り出す現実に強力に作用します。
***
しかも、自分の核にあるものは、善良なのものなのか、そうではないのか、と自分だけで考えていてもそうそう明確な答えが出るようなものではありません。
でももし、繰り返し身近な人の核に、善良なものがあるということをまざまざと見せつけられたら、そして同じように見ていったら自分の中にもあったという体験を重ねていったら、けっこう強固な思い込みであったとしてもじわじわと壊れていきます。
それを仲間と一緒に体験していったら、一人でいるよりもはるかに容易に、「自分の核にあるものは善良なものなのだ。人間の核にあるものは善良なものなのだ。」と信じられるようになります。
一人だけで、周りの人たちとは違う思い込みを持ち続けるのは、むずかしいものなのです。
***
僕らがやっているのはこういうこと。
GFLの半年講座、そしてその先のコースではこれを徹底的にやっていきます。
自分の存在を、根本的に肯定できるようになりたかったら、是非いらしてください。
Comments