僕らは誰でも、胸の痛みを感じないようにするためのメカニズムを、小さいときに発達させてサバイバルしてきてる。
その当時はそうやって生き延びたわけなんだけれど、大人になってもその自動処理のメカニズムは脳内に生き残ってる。
そうすると、表面的なネガティブな感情のほとんどは、本来の痛みではなくて、それを回避するメカニズムが働いたあとのもの、「処理済み」のものになってる。
例えば、本来は大好きな人と一緒にいられないのが寂しい、という痛みがあるところで、そのメカニズムが働いたあとだと、「なんで会ってくれないんだ!会う時間くらい作れよ!」って怒りになってたりする。
これはなんというか、ほんものの自分でいられていないので、本来の現実創造の力が使えない状態になってるの。
で、この処理後の感情や、それに紐づいた行動が採用されていると、現実は望む方向には変容しない。転移・投影の劇場の中で物を見て、その中で演じ続けることになる。
***
もしこの状態で心得のない人(ってほとんどの人だけど)に聞いてもらったりすると、むしろ今ある転移の劇場のパターンを強化しかねないリスクがある。
たとえば「あの人は私のことを無視した。私は傷ついた。絶対私のこと嫌いなんだ。」って思っているときに、
「そうだよね、あの人ひどいよ。そういう人とはもう関わらなくていいんじゃない?」ってだけ言われて、そうだそうだと思っちゃったら、
まずまちがいなく同じパターンが今後も続く。
かといって「そこで傷つく必要ないでしょ、あなたの思い違いかもしれないよ」って言われても、元の痛みが大きいときには「なんでわかってくれないんだ!!」みたいになっちゃう。
転移の劇場の中での見方にハマっちゃっているので、そうじゃない話にフラットに耳を傾けられないわけ。
自分劇場に同意する声にしか耳を貸せなくなる。
これが、転移と投影の劇場に閉じ込められる仕組みなの。
そこから抜け出すには、ほんとうの痛みを見つけるしかない。
(つづく、、たぶん)
Comments