誰かや周りに合わせる人生をやめて、自分自身を表現することを始めると、あなたが好きなものを好きと言っただけで、誰かが勝手に「自分は好かれない」と思い込むことがあります。
「これ素敵!」「わ〜、美しい!」「あの人大好き」「これ感動した!」「私にとってはこれが大切」ってただ感じたことを言葉にしただけで、誰かが勝手に「自分は愛してもらえないんだ」と思い込むことがあります。場合によっては自分が否定されたって思い込む。
その人を愛さないとか言ってないし、存在を否定もしていないのに。
なのにそんな風にして、傷ついた気持ちになることがあります。 (あ、僕もうっかりそういう気持ちになるときありますからね)
***
それで場合によってはそっと離れていくだろうし、場合によってはあなたを非難したり、あなたに攻撃的に関わってくることもあるでしょう。
それが親だったり子だったり、パートナーだったり、親しい友人のこともある。
残念だよね〜。いろんな意味で。
それでも、ここであなたの「好き」を止めてしまったら、あなたの生命エネルギーみたいなものが枯れていってしまう。
あなたの命は冷えて、活動する意欲も小さくなっていく。
でもね、少なくともこの場合、あなたにはなんの落ち度もないし、「彼らが」「彼ら自身の思い込みを手放す」以外に、全体のいのちがより生きる方向での変化はないの。
だれかが自分のいのちを抑え込むことで、見た目上の平穏が訪れることはあり得るけれど、それは健全じゃないと僕は思うんだよね。
**
それでもし、
「ほ〜、あなたはそれが好きなのね。僕はこれが好きなんだよ。」 「ふ〜ん、そうなのね、いいね」
みたいな会話ができていれば一緒に居られるし、それはとても豊かなものになりうる。
でもそうならなくて、どちらかが相手を決めつけちゃったり、相手の好みを許せなくなっちゃったら、一緒にいるのは消耗する関係になってしまう。
それはやめてほしい、と一回は言ってみる価値があると思います。
でも、全然通じなかったらそこからたち去る自由と力を、 あなたは行使していい。
しっかりそれを悲しんで、喪に服して(これ僕は不足しがち)、 そのあとは、もっと自由で寛容な人たちとの関係にくつろいだらいいんじゃないかな。
Commenti