親に似た人をパートナーに選ぶ、はほんとう? その2
- 二子渉
- 2023年12月22日
- 読了時間: 5分
更新日:2023年12月24日
その1のつづきです。
親に似た人をパートナーに選ぶ、はほんとうか?
パートナーシップのことを深く研究してきてわかったことがあります。
それは、親との間で体験した嫌な思い出を、パートナーとの間でも体験する、ということ。
それに適した人を、僕らのたましい(?)はパートナーに選ぶ。
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たとえばAさんは、パートナーがいつも忙しくてなかなか会う時間を作ってくれない。もっと会いたいとは伝えているんだけれど、なんだかんだと後回しにされるし、まあ仕事が忙しいのだからしょうがないかなとも思う。でも不満。
というような悩みを抱えていました。
でね、Aさんに子ども時代の体験をあれこれ尋ねていくと、親があんまりかまってくれなくて、関わりにいったら怒られて傷ついていた、みたいな子ども時代を過ごしていました。
特に両親が共働きで、保育園に預けられるのがすごくいやで、でも「お仕事なんだから仕方ないでしょ」と言われてどうしようもないことと思って絶望していた。
休みの日にも親御さんは疲れていたのか、Aさんとしてはあまり構ってもらえず、いつも寂しい思いをしていて。
Aさんとしては、もっと構ってほしいけれど、それは叶わない願いなんだ、私がどれだけ言っても聞いてもらえないんだ、というふうにいつの間にか絶望してしまっていた。
大人になった今も、パートナーは構ってくれなくて寂しい、そしてこんなに言っているのに聞いてくれないことに絶望的な気持ちになっている。
***
これが「親に似た人をパートナーに選ぶ」という意味です。
親との間で体験した痛みと、同じ痛みを与える人をパートナーに選ぶ。
で、これもうちょっと複雑なこともあって。
たとえばBさんのパートナーは仕事が忙しくて趣味もなく友達とも会っていないようなひと。それでやはり「パートナーが構ってくれない」っていう寂しさを体験しているのですが、Bさんの場合は母親がいつも家にいました。
Bさんのお母さんは趣味の仲間がしょっちゅう家に遊びにきていて、Bちゃんも一緒の部屋で遊んでいいわよ、とまでいってくれていた。
けれどもBさんとしては、寂しかった。
今から思えば、もっと自分だけを見て関わってもらいたかった。
そのことを子どもなりに訴えたけれど、そのたびに「なんで?みんなで一緒に楽しく過ごせばいいじゃない」と言われて通じなさに絶望していった。
Bさんのパートナーは仕事は忙しいけれど、友達付き合いも少ないからいいと思ってた。
表面的にはけっこう違うタイプを選んだつもりだけれども、同じ痛みを体験しているわけ。
***
いずれにしてもポイントは、親との間で体験した痛みと、同じ痛みを与える人をパートナーに選ぶ、ということ。
人間にはそういう性質があるということ。
これこそが実に深淵で重要な性質なんだけれど、その話は後で。
GFLでは、親子関係を再創造するといいます。
僕らは自分の体験する世界を、創造(クリエイト)する力を持っている。
その力をいつも無自覚に発揮している。
その結果、親との間で体験した痛みを、再体験できるように現実を創造する。
そのために最適な役者をちゃんと選ぶ。
構ってくれない寂しさ、という痛みを体験していたなら、「とにかく関わろうとする」みたいなタイプとくっつけば良さそうなものだけれど、わざわざそうじゃない人に惹かれる。
そういう経験、ありませんか?
こいつもかよ!って思うような。
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でですね。
子どもの時には、子どもなりの発達と能力だったし、親子関係という力関係、立場もあるしで、おそらくどうしようもなかった。
そしてそのどうしようもない状況で子どもが思っているのは、ちょっと強引にまとめるなら:
「ほんとうに愛があるんだったら、お母さん(お父さん)、愛がある態度に変わってよ!」
ということ。こっちはもうどうしようもないから、向こうに気づいて変わってもらうしかない。子どものときはそうだった。
大人になったとき、ここで分かれ道に到達します。
その1は、パートナーに対して、「ほんとうに愛してるなら、こんどこそ、愛がある態度に変わってよ!」と期待する。勝手に向こうが気づいて変わることを期待する、とも言えます。
このとき、本人は当時の無力な子どもと同じ対応をとります。
そうするとこのゲームには負け続けてしまう。
ゲームから抜け出せないまま、再創造が続く。
その2は、パートナーが勝手に変わることを期待する代わりに、自分が欲しかった体験を取りにいく、創造しにいく、というもの。
その時には、いまの、「子どもの時とは違う対応ができる自分」の全てで持って、自分の願いを叶えようとする。
こうなると、これまでのパターンが崩れ、ゲームが終了し、新しい創造が可能になるの。
***
長くなったのでこの先はまたの機会に譲るけれど、
この第2の道を見つけて歩むことができると、その時あなたは、より自由になっていて、しかもより深い愛の体験ができるようになっている。
その時、あたかもパートナーが別人のように変化する。相手が自然に、もう一歩理想的なパートナーへと一歩変容して「現れる」。
その人はあなたの親ではなくて、愛を持って選びあったパートナーだからね。
このように自分を解放し、より深いつながりへといざなうために、「親と同じ痛みを感じさせてくれるパートナー」を僕らのたましいは見つけ出す。
GFL半年講座の中盤以降の大きなテーマが、この再創造のパターンをどうやって変えていけるようになるか、というもの。
精神的な自立が進んでいる人が、ここを知らなかったら、「合わないなら別れる」という解決法しか残されなくなる。
それだと、せっかくの癒しの機会を活かせない。
せっかくの、自分の創造の力を取り戻す機会を活かせない。
というわけ。
この法則を学んで、その先にある自由と愛の共存する世界を体験したいと思いません?
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