誰かとの間での何らかの行為や出来事を「赦す」「赦される」って二種類あります。
ひとつは自分の内側のこと。ひとつは関係性でのこと。
この二種類がごっちゃになることがよくあると思うのね。
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過去の自分の行いについて誰かに赦してもらっても、自分で自分を赦していなければ、ずっと自分への否定とその苦しみが続く。
また、誰かの行為を自分が赦せないでいたら、それはそれで苦しみが続く。
ほんとうの赦しが生じたら、その時、その苦しみから「自分が」解放される。
これが自分の内側での赦しの性質。
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自分で自分を赦していても、相手があなたを赦していなかったら、その人との関係性は難しいままになる。
あなたが公正さに基づく誠実な謝罪をして、相手がそれを受け入れたときにだけ、赦しと和解が生じ、関係性が変わる。時に劇的に。
(もちろん逆の立場で、相手が公正さに基づく誠実な謝罪をして、あなたがそれを受け入れたとき、というのもある)
ただこちらが相手を赦していても、すでに関われなくなっていたら、リアルなその人との関係では和解は経験できない。
これらは人と人との関係性での話であって、自分の内側での赦しとは別次元の話。
大切にしたい人との関係では、謝ることと受け入れることが鍵になる。
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そして、あなたは悪くない。
そして、「悪い人」など存在しない。
それでも僕らの人間としての限界が、しばしば胸の痛む状況を作り出してしまう。
それだけのことなんだけれど、そのことを忘れないでいたいな。
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